CodaBow

CodaBow(コーダ・ボウ)

「最高の弓だけを提供する」3人の先駆者たち

CodaBow社の歴史は、まったく異なった経歴を持つ3人の先駆者たちによって紡がれます。「複合材料の祖父」の異名を持ち、「コンポジット産業の真のパイオニア」と称されるスタン・プロセン。学び得た航空宇宙工学、構造設計の専門知識、音楽への情熱を注ぎこみ、科学を持って弓の性能の向上に貢献したデザイナーであり航空宇宙工学者のジェフ・ヴァン・フォッセン。卓越した情熱を持ち、40年以上にわたってフランスの伝統的な弓を作り続けてきた弓の名製作家ロジャー・ザビンスキー。CodaBow社は1993年、スタンとジェフにより設立され、そこにロジャーが加わり、カーボン弓製作の礎が築かれました。

左から|スタン・プロセン / ジェフ・ヴァン・フォッセン / ロジャー・ザビンスキー

はじまりは、偶然出会った「音」

1958年、材料科学者であったスタン・プロセンは当時、研究所で複合材料に関する最先端の研究をしていました。彼は繊維を「ノルリング」と呼ばれる形に加工し実験を行っていた最中、そのリングをうっかりベンチから落としてしまいました。


リングがタイルの床に当たって跳ね返ったときに発した「音」。この「音」がスタンの頭の中に残り続けます。音楽家の家系に生まれたスタンは「この音響特性を生かし、美しい音楽を奏でることはできないだろうか」と考えを巡らせました。この偶然の出会いがCodaBowのはじまりとなったのです。

伝統とテクノロジーの融合

その後、仕事の関係で出会ったスタンとジェフ。ジェフはスタンの持つ「最先端の複合素材が弓のパフォーマンス向上に大きく貢献する」という考えに賛同しました。しかし、その夢を実現するためには弓作りの知識が不足していたのです。そこで、伝統的なペルナンブ―コ弓の製作に40年以上携わっていたロジャー・ザビンスキーを誘い、ロジャーは「これは私に出来ることであり、すべきことである。」と考え、チームに参加します。ここに芸術とサイエンス、伝統とテクノロジーが融合し集約され、さらに前線で活躍する偉大な音楽家やオーケストラ、ミュージシャン、弓の製作家たちを巻き込みながら弓製作の世界に踏み込んでいきました。

「弓作り」に対する真摯な情熱

CodaBowの初期のプロトタイプが完成したのは今から約20年前。その時から彼らは、カーボン弓製作のための様々な技術と信念を磨き上げています。「グラファイトファイバーテクノロジー」のような弓作りにとってはまったく新しい技術や、「伝統への敬意」、「芸術への美学」、「科学への献身」、そして「パフォーマンスへの妥協のない取り組み」といった情熱を、弓作りそのものと同じくらい今も変わらずに持ち続けています。


スタンは、長い間「はじまり」となったノルリングの原型を大事に持ち続けていました。そしてそれは今日もCodaBowのワークショップに置かれ、原点を思い起こさせるとともに、最高のカーボン弓を作るためのインスピレーションの源となっています。

CodaBow’s Legacy of Becoming a Top American Bow Maker